「ママ、まだ?砂浜って遠すぎる。もう歩けないよう。自転車にのせて」
従妹の由香里は口をとがらせ、空気を入れた浮輪をグルグルまわす。
沙夏は、夏休みになったので、お父さんの妹の千佳おばさんに連れられて、浜辺の祖父母の家に遊びにきた。従姉妹の香織と由香里も一緒だった。香織は小学六年、由香里は沙夏と同じ小学三年だ。
千佳おばさんが引っ張る自転車の荷台には、折りたたみ式のパラソルや保冷箱が積まれていて今にも倒れそうだ。
「沙夏ちゃんはえらい!さっさと歩いて。さすがもうすぐお姉ちゃんになる子は違うわ」
「いつもママは沙夏ちゃんのことほめるんだから。だったら、ママももう一人、赤ちゃん生んでよ。そしたらゆかだって沙夏ちゃんみたいにえらくなる」
由香里が言うと、香織が由香里をにらんだ。
「赤ちゃんなんかいらないよ。うちには部屋が二つしかないんだよ。これ以上増えたらニンゲンだらけになっちゃう」
「確かに。だれかテーブルの下に寝なくちゃいけなくなるかも」
千佳おばさんがクスクス笑った。香織も由香里もやだやだといいながら笑った。沙夏は笑えない。真っ直ぐ前を向いて歩いた。
夕べのこと。おじいさんの家の広い座敷に香織、由香里、沙夏と三つ布団を並べて寝た。いつもの夏のように。沙夏は真ん中。両隣の香織と由香里はすぐ寝息を立て始めた。いいなあ、すぐ眠れて。横向きになったり、天井を見たり、でもなかなか寝付かれない。
お風呂から上がったのだろうか。おばあさんと千佳おばさんがとなりの部屋にきたみたいだった。
「ねえ、沙夏ちゃん大丈夫かな」
千佳おばさんの小さい声がした。
「大丈夫かって、何が?」
おばあさんが言うと、千佳おばさんが声をひそめた。
「お兄ちゃんの新しい奥さん、泉さん。もうすぐ赤ちゃん生むでしょ。沙夏ちゃんのことも可愛がってくれるかしら」
「バカなこと言わないの。そりゃ、泉さんは子ども好きではないかもしれない。でもね、赤ちゃんを生んだらきっと変わるさ。それに茂が選んだ人だもの。任せるよりしかたないでしょ」
「ああ、沙夏ちゃんのママが病気で亡くならなかったら・・・。沙夏ちゃんのこと思うとね、胸が痛くなるの。うちの子ども達とちがっておとなしすぎるし、泉さんにずいぶん遠慮してるわ」
「大丈夫。沙夏は芯の強い子だ。自分で切り開いていくさ。信じて見守ってあげようよ」
廊下で足音がした。
「まだ起きてるのか。千佳、明日は子どもたちを海に連れて行くんだろ。早く寝なさい」
おじいさんが少し怖い声でいった。
沙夏は頭からタオルケットをかぶった。そしていつのまにか眠ってしまった。
「ほら、あそこだよ」
千佳おばさんが指をさす。百メートルくらい先に入江に囲まれた海が見えた。白い波が砂浜に打ち寄せている。太陽に照らされて砂浜が光っている。初めてくる海だ。
毎夏、お父さんや千佳おばさんに海へ連れていってもらっている。今年、お父さんは来ない。新しいお母さんの具合が悪いのだった。赤ちゃんがおなかにできてつわりがひどいのだそうだ。
「どお、素敵でしょ」おばさんは得意げに沙夏たちの顔を見た。おばあさんの家から遠かったけど、がんばって歩いたかいがあった。
だれもいない遠浅の海。広がる砂浜。
香織と由香里がゴムぞうりをペテペタいわせて走りだす。沙夏も後に続いた。
千佳おばさんは砂浜まで行かずに農道で自転車を止めた。
「荷物、運びなさい!でないと、ジュースやアイスないよ」
沙夏たちはあわてて引き返して運んだ。おばさんはパラソルを組み立て簡易式の椅子を広げた。砂浜の砂は細かくグラニュー糖のようにサラサラしていた。
「泳いでくるね」
沙夏たちは三人そろってシャツをぬぐと水着になって海へかけだした。海水はなまぬるくて気持ちがよかった。引き潮で遠くまで行けそうだった。
「おーい、子供達、あまり遠くへ行っちゃあだめだよ」
振り返ると、水着姿の千佳おばさんが海に入ってきた。
「ママ、うるさい。わたしは、遠泳までしたんだよ。心配ないって」
香織は大声で答えると、沖へと泳いでいく。
「沙夏ちゃん、いっしょに泳ごうよ」
由香里は浮輪に入って沙夏と手をつないだ。沙夏は浮輪につかまって泳いだ。プールと違って体は軽くなるが波があるのであまり前へ進めない。突然由香里がさけんだ。
「足が届かないよう。こわいよう。ママ、ママ!」
おばさんがゆっくり泳いできた。
「大丈夫、もう少しいってみよか。沙夏ちゃん平気?」
沙夏は大きくうなづく。海の色がしだいに濃くなっていく。光る砂浜が遠ざかる。
沙夏は浮輪につかまりながらバタ足で水をける。なにも考えないでいよう。今、この瞬間を楽しもうと思った。しばらく遊ぶと、
「ママ、おなかすいた。おやつほしい」
由香里がいった。
「そうね、そろそろ、引き返そうか。香織!戻っておいで!」
豆粒ほどだった黄色い水泳帽がぐんぐん近づいてくる。力強いクロールだ。あっというまに来た。
「ああ、気持ちよかった。おなかペコペコ」
「あんたたち、遊ぶことと食べることしか頭にないの?」
「やだ、ママが一番の食いしん坊のくせに」
「ママはね看護師で超忙しいのよ。食べなきゃ仕事ができないの」
言いたいほうだい言ったり甘えたりする香織と由香里。うちと全然ちがう。沙夏は青い空を見上げた。トンビが一羽、ゆっくりと舞っていた。沙夏は由香里の浮輪をぐいっとつかんで砂浜へむかった。
ポテチやクッキー、おせんべいをたくさん食べた。お茶やジュースも飲んだ。泳いだあとのおいしさは格別だ。
「ああ、疲れちゃった」
おばさんはサングラスをかけるとレジャーシートの上に寝そべった。
「砂浜で何か作ろうよ」
香織が立ち上がる。沙夏も由香里も砂浜へ行った。
「なに作ろうか・・・。穴をほって池にして、魚つかまえていれよか」
香織が穴をほり始めた。すると由香里が首をふった。
「魚なんかつかまえられないよ。ねえ、沙夏ちゃんの赤ちゃんの部屋を作らない?」
(赤ちゃんの部屋・・・・)
沙夏は砂を手ですくうとするすると指の間からこぼした。
由香里は小さいバケツを持って海へ入り、海水をくんできた。砂に海水をかけて湿らせた。その砂で高さ二センチくらいの壁を作っていった。香織も面白くなってきたのか、何回も海と往復している。
「沙夏ちゃんの妹でしょう、ほら」
香織がバケツを沙夏に渡した。沙夏はゆっくり海へ入り、水をくんだ。
やがて縦二メートル、横一メートルくらいの長方形の部屋ができた。
「つぎは、内装工事だ。まずベッド」
香織は壁にくっつけてベッドを作る。
「ベッドのしきりは貝殻だよ」
由香里は砂浜にあった貝殻を拾ってきた。巻貝、二枚貝、大きいの小さいの。海の中からも拾ってきた。ベッドの周りをぐるっと貝殻で飾る。二人とも満足そうにうなずいている。
「オムツやタオルベビー用品を入れる衣装ケースも」
由香里はうれしそうに砂を積み上げる。
「おもちゃもほしいねえ。だけど砂でつくるのはむずかしいよ」
「だったら、絵を描こうか」
香織と由香里は盛り上がっている。沙夏は二人をぼんやりと眺めていた。
「ねえねえ、ベッドにお布団しかなくてはね。沙夏ちゃん、なにかさがしてきて」
香織がいった。ぐるっと見渡すと、砂浜に続く丘にハマヒルガオの群生があった。
沙夏はそこへ行った。青々としたハマヒルガオの肉厚の葉っぱからアサガオみたいなピンクの花がいくつも咲いていた。これなら布団になりそうだ。葉っぱ二十枚くらいと花を一つ摘み取った。
みんなで葉っぱをベッドにしきつめた。
「花は赤ちゃんだよ」
由香里が枕の上にそっと置く。
「やった、出来上がり!」
香織と由香里は手をたたいた。
「すごい、すごい」
「そろそろ帰るよー」
おばさんが大きな声で呼んだ。
「ええつ?まだ遊びたいよう」
「もう潮が満ちてきてるでしょ」
本当だ。いつの間にか足元の砂がしめっていた。
三人はしぶしぶパラソルにもどった。そこでまたおかしを食べたりジュースを飲んだりアイスをなめた。
ふと振り返ると、いつのまにか水が砂浜におしよせて来ていた。ザブーン ザザーンと波が砂浜を洗う。
「ああ、赤ちゃんの部屋が・・・・」
由香里がかなしそうな声でいった。
(赤ちゃんの部屋なんか、海に流されたらいい・・・)
沙夏は波が砂の部屋を崩していくのを見ながら思った。
ついに赤ちゃんの部屋の壁が壊れた。ベッドも形を崩して波にさらわれて海へ。貝殻も流されていく。あっというまに部屋は崩れて、ハマヒルガオの花だけが波打ち際で行ったり来たりしている。
「大変だ、赤ちゃんが流されるよお。沙夏ちゃんの赤ちゃん、助けなきゃ」
由香里が海へ入っていく。
「ゆかちゃん、待って。わたしが行く」
沙夏は由香里をおしのけると、海へ入った。花に手が届きそうになると、波がきてなかなかつかまえられない。ピンクのハマヒルガオは沙夏と追いかけっこをするように浮いていく。海水が胸まできた。それでも沙夏はけんめいにつかもうとする。
「おねえちゃん」花がいったような気がした。やっと沙夏は花を拾った。
大切に手のひらにのせた。
「沙夏ちゃん、早くおいで。おぼれちゃうよお」
香織が大声でさけんだ。
従姉妹たちのところに走って行った。
「沙夏ちゃん、えらい!お花さん喜んでいるよ」
千佳おばさんが沙夏の頭をなでた。
「ただの花じゃん、それに濡れてくちゃくちゃ。捨てちゃいなよ」
香織が言った。
「お姉ちゃんの意地悪。ダメだよ、捨てちゃあ、これは沙夏ちゃんの赤ちゃんなの」
「いとこまた一人ふえるわね。男の子かな、女の子かな。来年は赤ちゃんも海へつれてこようね。海、バイバイ!」
千佳おばさんが海に向かって手をふった。みんなで手をふった。沙夏はしおれたピンクのハマヒルガオを左手のせ、右手で大きく手をふった。
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